クラシックカメラ銘々伝
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ミノックス秘話    Minox A  Minox B  Minox C  Minox 35GL  MinoxCD70
左:Minox A     中:Minox C     右:Minox B

誕生秘話

ミノックスの生まれ故郷は、北欧バルト海に面した小国ラトビアである。人口わずか200万人の小さな小さな国である。古くはバイキングに、そのあとロシア帝国に支配され、近世に入ってもソ連やナチスドイツの軍靴に蹂躙されてきた。

そのラトビアの首都リガで、ミノックスは誕生した。秘話が伝えられている。ソ連の光学工場から二人の技術者が国境を越えようとして、ソ連軍の警備隊に発砲され、一人は死亡、もう一人は命からがら逃げ延びて、エストニアに身を潜めた。生き残ったのはウォルター・ザップ(Alfred Walter Zapp)で、国境で命を落とした友人と共同開発した小さな試作カメラを、しっかりと握りしめていた。
Walter Zapp

ザップはこの試作機を持って、ライツやツァイスやフォクトレンダーを訪れるが、どこの社も取り合ってくれなかった。しかたなくラトビアに帰り、友人の尽力もあって、国内最大の家電メーカーVEF社に職を得る。ある時彼は、社長のビトルツ博士(Dr.Teodor Witolz)に例の小型カメラを見せる機会に恵まれた。

VEF社は電話機製造から発展した会社で、当時はラジオの様な家電から、航空機の部材まで扱う大会社であった。ビトルツ博士はザップの試作機を見るなり気に入って、社内にミニマッチ計画(Mini Match Project)推進チームを組織する。もちろんザップも主要メンバーの一人であった。レンズはオーストリアのゲルツ社から技術を導入、シャッターはピータース(Peters)、デザインはA.イルバイト(Adolfs Irbite)というVEF社最高のスタッフが動員された。

VEF(Valsts Erektrotehniska Fabrika)

こうして1938年、ミノックスはラトビアの首都リガで産声を上げた。この精密な小型カメラは、世界の情勢が風雲急を告げる中、情報戦争の強力な武器として、ソ連、ドイツ、イギリスなどが争って輸入した。前途洋々に見えたが、翌1939年には世界大戦が始まり、ラトビアはまたもソ連、次いでナチスドイツの支配下に置かれる。1944年、ソ連軍のラトビア奪回に際し、ミノックスの技術者達は部品と設備を持って、ドイツ軍と共にリガを脱出、ドイツに渡り、ウェツラー近郊の難民キャンプで細々と生産を続けた。

Minox Ⅰ(Riga Minox)

大戦後、彼らを支援したのは、葉巻会社を経営するハンス・リン(Hans Rinn)だった。1949年、西ドイツのギーセンでドイツ製のミノックスが生産を開始した。リガで作ったミノックスⅠ型はステンレス製だったが、ドイツで再出発したミノックスⅡ型は、軽いアルミ合金に替えて、重量は135gから70gに半減した。このⅡ型のレンズを改良したⅢ型が、アメリカで大好評を得て、一躍ミノックスの評価を揺るぎないものとした。ミノックスはこのⅢ型をA型とし、露出計を内蔵したB型、自動露出のC型へと発展していく。

Minox Ⅲ(Minox A)


世界を救ったスパイとミノックスの秘話
1960年、オレグ・ウラジミロビッチ・ペンコフスキーは、ソ連軍参謀本部中央情報部の大佐であった。過去にかくかくたる戦果を挙げ、将来を約束された輝かしい若手将校であった。しかし、彼は当時のフルシチョフ率いる共産党政権に、どうしても馴染めなかった。西欧諸国の自由で明るい社会を見てしまうと、母国の暗いおどおどした市民生活は、とうてい耐えられるものではなかった。彼は共産党独裁政権を倒さなければと考えた。それには西側諸国の力を借りようと思ったのだ。
Oleg Penkovsky
1961年、彼はソ連の経済使節団の団長としてロンドンにいた。そこで以前から連絡を取っていたイギリスの貿易商ウィーンと落ち合い、3台のミノックスを渡される。母国に帰った彼は、その地位を利用して、ミノックスの小さなフィルムに写したソ連の機密情報を、ドロップの缶に詰めて、モスクワの公園で遊ぶ子供に託して、その母親の駐モスクワ英国大使館員の妻に渡したのだ。

ソ連政権内部の政治家や軍人の軋轢や、抗争、中国との外交政策、さらには核弾頭を積んだミサイルの配置状況など、多岐にわたる情報は、全て超一級の機密情報であった。

1962年、ソ連はキューバにミサイルを配備し、アメリカ本土攻撃の拠点を作った。ペンコフスキーの情報により、いち早く察知したアメリカ大統領ジョン・F・ケネディーは、10月14日、偵察機U2を飛ばして、キューバでのミサイル配置を確認した。アメリカ国防省は、即座にキューバ基地を攻撃するようケネディーに迫った。もし戦端が開かれれば、ニューヨークは核ミサイルの砲撃を受け、第3次世界戦争に発展しても不思議ではない。世界は緊迫感に包まれた。

ケネディーとフルシチョフ
しかし、ケネディーには余裕があった。ペンコフスキーからの情報によって、ソ連が声高に叫ぶほどミサイルも、核弾頭も所有数は少なく、性能も劣っているなどソ連側の弱点をつかんでいたからだ。

ケネディーはフルシチョフにキューバでのミサイルを撤去するよう、強硬に要求した。2週間に及んだ息詰まる駆け引きの末、ケネディーは強烈なブラフをしかけた。アメリカが戦争を始める時、いつも大統領が教会に行くという慣習を、フルシチョフに見せつけるように、その朝、教会に行き、臨時閣議を招集した。それを知ったフルシチョフは、大いにあわてて、モスクワ放送を通じミサイル撤去を一方的に宣言した。時に、1962年10月28日、世界が救われた瞬間であった。

ペンコフスキーが使ったミノックスB
もしこの時、ペンコフスキーという勇敢な戦士が居なかったら、もし小型で精密なミノックスというカメラがなかったら、アメリカはソ連の見えざる力に怯えて、キューバ攻撃に踏み切っただろう。世界を救ったペンコフスキーとミノックスの秘話である。その年に、ペンコフスキーは逮捕され、1963年5月11日、処刑。一説によると、生きたまま火あぶりの刑に処せられたという。44才であった。

同じ年の11月22日、ケネディー暗殺。翌1964年10月14日、フルシチョフはキューバ事件の責任を追及されて失脚した。


映画に登場するミノックス
ミノックスは世界中の映画に使われた。スパイ映画、サスペンス映画、ハリウッドはもちろん、イギリス、フランス、日本など世界各国の映画に登場する。カメラの中では群を抜く大スターなのである。

死刑台のエレベーター
その中で、ほとんど主役と言ってもおかしくない役割を演じたのが、フランス映画の名作「死刑台のエレベーター」である。マイルスデビスのミュートトランペットと、ジャンヌモローの蠱惑的な美貌、そして、この小さいカメラが語る真実に観客は陶酔した。1958年のフランス映画の傑作である。
モーリス・ロネが演じる主人公ジュリアン愛用のカメラは、小さなミノックスだ。エレベータに閉じ込められたジュリアンの車を、若いカップルが無断で拝借する。そしてドライブの途中、ドイツ人夫婦と仲良くなる。車にあったミノックスは、ドイツ人夫人の愛用カメラと同じだった。

ミノックスでなにげなく撮った写真が、殺人事件の解決のきっかけとなり、さらにミノックスは、とんでもない事実を、愛の記憶と、殺人の証拠を鮮明に写し取っていた。主役をつとめたカメラは、ミノックスAであった。

007に登場したミノックス
スパイ映画と言えば、007シリーズだ。ミノックスが活躍するのは、1969年の「女王陛下の007」だ。雪のアルプスを舞台にしたおなじみのアクション映画だが、生物兵器にさせられる女性達の証拠写真を、敵のアジトに潜入したジェームス・ボンドが、ミノックスBで撮影する。よく見ると、ミノックスを逆さまに構えている。こんなところを発見するのも、ミノックスファンの楽しみなのである。


この他、日本映画では市川雷蔵が主演した陸軍中野学校など、またアメリカのテレビでは、スパイ大作戦などで活躍している。



ミノックスでの撮影
ミノックスで実際に撮影してみよう。フィルムは未だ購入が可能である。(2012年3月現在) 私は東京秋葉原のにっしんカメラで購入している。シャランのミニクラシックシリーズと同じだから、未だ生産されているのだ。現像も富士フイルムのラボで引き受けてくれている。だから、町のDPショップで頼めるのだ。仕上がりまで1週間ぐらいかかる。

フィルムは1本945円、現像はサービス判への焼き付けも含めて2,000円ぐらいだ。結構高く付くのはやむを得ないところだろうか。

ミノックス用フィルム30枚撮り 上:ミノックス  下:ライカ判
仕上がってきたネガをライカ判と比べると、非常に小さいのがわかる。画面サイズはライカ判の24×36mmに対して、8×11mmと実に10分の1しかない。これでまともな写真になるのかと、いささか不安になる。

フィルムの装填はちょっとわかりにくい。下の写真で説明しよう。カメラはB型を使った。
 半月状の爪を押す ボディーを引き出す 半月状の爪を押し込む
1.ボディーの開閉を繰り返し、カウンターの赤丸を指標に合わせる。
2.カメラを裏返して、少しボディーを引くと半月状の爪が現れる。
3.爪を押しながら、ボディーを引き出す。
4.半月状の爪を押し込むと、フィルム圧板が開く。カセットを落とし込む。

C型からは4の動作をしなくても、フィルムが入るようになった。

B型の場合、もうひとつ準備がいる。露出計にフィルム感度をセットするのだ。これはフィルム室を閉じる前に、しておかなければならない。表側の露出計ゲージの裏の薄いギヤを指で回して、フィルム感度をASAまたはDIN表示の数字に合わせる。さらにシャッターダイアルを、必ず100に合わせてから、ボディーを押し込む。
ASA感度を合わせる

B型の内蔵露出計は、そのままでは針が動かない。被写体に向けて、露出計の中央の小さいボタンを押すと、針が振れて止まる。シャッターダイアルを回して、露出計の針に△を合わせれば、適正な速度でシャッターが切れる。

明るすぎる時は、ファインダー窓上のギザギザをスライドさせて、黒いNDフィルターをレンズにかぶせる。この時、露出計は自動的に感度が切り替わるから、そのまま撮影出来る。

シャッタースリットはレンズの前を走る。シャッターがチャージされると、レンズの前に◎印が現れ、シャッターを切ると◎印は消える。
シャッターチャージ


Minox B 
 
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猫とベンチ ベンチ
ミノックスB型を持って、冬の日比谷公園でノラネコを試し撮り。これは驚きだ。よく写っている。15mmのコンプランレンズは被写界深度が深く、意外にシャープな写真が撮れる。

枯れ葉とノラ ひなたボッコ
内蔵の露出計は名門ゴッセン製だから、まだ十分に実用になる。

Minox C
  左からフィルム感度、シャッター、距離のセットダイアル
ミノックスは1969年にミノックスCを発表する。露出計をCdsに替えて、自動露出とした。初のEEカメラである。B型で使いにくかったフィルム装填や、フィルム感度設定方法を改善し、格段に使いやすくなった。しかし、B型より25mm長くなってしまい、古くからのミノックスファンには不評だったようだ。

しかし、実際に使ってみると、このC型はたいへん使いやすい。25mm長くなった分だけ、ホールドしやすく手ぶれが防げる。フィルム感度がフィルム装填後でも変えられるのは、うっかり忘れやすい私などは、非常に助かる。ただ、B型にあったスローシャッターが無くなり、フィルムカウンターも、装填前に赤点に合わせるフィルム送りが、シャッターを切らなければ送れなくなったなど、ちょっと不便になった面もある。
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東京スカイツリー 浅草にて
EEカメラだから撮影は快適だ。距離を合わせてシャッターを押すだけ。露出の不安がないのは、やはりありがたい。

浅草寺にて 亀戸にて
浅草寺の用水桶は、鉄製の近代的なものだが、これはいざ火事の時には役に立つのだろうか。亀戸で見た水車は、昔ながらの懐かしい水車であった。

ミノックスの優れたポイントのひとつに、複写性能があげられる。これぞ世界中のスパイ達が、最も評価した点だろう。ミノックスには標準で、全長60cmのスネークチェーンが付いてくる。これが優れもので、20cm、24cm、30cm、40cmのところにコブが付いている。これで正確な近接撮影が出来るわけだ。


さらにすごいのは、ファインダー内のブライトフレームが、パララックスを自動補正する。ライカがM型で初めて採用したパララックス補正を、1930年代の初代から実現していたのだ。

週刊誌大 40cm A5判 24cm
さて、その近接撮影の性能を実感するべく、手元の本を写してみた。複写装置が無いので、三脚にミノックスを固定し、フレームに被写体をギリギリ入れて、スネークチェーンで距離を合わせた。週刊誌大の時は40cm、A5判の本は24cmでぴったりと収まる。これを覚えておけば、A5判を撮る時は、いちいちチェーンで測らなくても、24cmにセットして、フレームいっぱいに被写体を入れさえすればよい。これはスパイにとって強力な武器になったであろう。


Minox System
ミノックスは極小カメラではあったが、充実したアクセサリーシステムを構成していた。4脚の複写装置、1本の脚の中に全て収まる三脚、フィルムビュ-ワー、露出計、フラッシュガン、スネークチェーン、さらには現像タンクから引き伸ばし機まで揃っていた。

その後のミノックス

1974年、ミノックスは35mmカメラを発売する。オールプラスチックの35ELである。すでにローライがコンパクト35mmカメラの先鞭を付けていたが、ミノックスは折りたたみ沈胴式という特異な形状を生み出した。

 ミノックス 35 GL(1979年)
Minox 35 GL+Color-Minotar35mm
写真のカメラは1979年発売のミノックス35GLである。距離は目測式で前玉回転、絞り優先のAEカメラだ。オールプラスチックだが十分高級感がある。

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小岩にて   石灯籠
このカメラは格好は良いのだけれど、撮りにくい。小さくしすぎたのだろう。一番の問題点は巻き上げである。後ろの小さなダイヤルを回して巻き上げるのだが、これが大変堅い。10枚も巻き上げると、親指が痛くなる。この後のモデルはレバー式になったから、この問題は解消されたと思うが、初期のモデルは覚悟がいる。

 
   
 ケロちゃん 巣鴨にて 
カラー・ミノター35mmF2.8というレンズは悪くない。すっきりした上品な写真だ。絞り優先AEだから、露出の失敗が無いのは嬉しい。

ミノックスCD70(1997年)
1990年代に入ると日本製カメラの躍進によって、他のドイツメーカー同様に、ミノックスも苦境に立たされる。エルモやローライに支援を求めるが、最終的にライカが経営権を握る。1996年のことであった。

その時はエルンスト・ライツ社もスイス資本に買収されていて、カメラ部門はライツ社から独立してライカ・カメラAGになっていた。ミノックスはギーセンからウェツラーに工場を移し、小型カメラの生産を続けることになった。

ライカの傘下に入った翌1997年、35mm判のミノックスCD70と、APS判のミノックスCD25を発売する。

MINOX CD70+Minoctar 35-70mm
ミノックスCD70はオールプラスチックの全自動カメラだが、フォルクスワーゲンのデザインチームがデザインしただけあって、秀逸なデザインで安っぽさは感じられない。

ミノックスCD70は、初心者向けのカメラで全自動である。フィルム装填は指定の箇所にパトローネをおいて先端をスプールに置くだけで、裏蓋を閉めれば自動的に装填される。電池はリチューム電池CR123Aである。

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