縄文の花の都  山梨県釈迦堂遺跡ほか
2008.04.06 06.20

中央高速道路を東京から西へ走ると、勝沼インターチェンジを過ぎたところに釈迦堂パーキングエリアがある。昭和55年(1980)、この高速道路建設現場から、縄文時代の花の都「釈迦堂遺跡」が発掘された。出土した5,599点はすべて国の重要文化財に指定された。そのほとんどは今から5千年前の縄文時代中期の遺物である。

4月の上旬にこの遺跡を訪ねると、文字通りの「花の都」が実感出来る。満開の桜と濃いピンクの桃の花が、見渡す限り広がっている。

釈迦堂遺跡博物館
釈迦堂パーキングエリアから釈迦堂遺跡博物館へは、遊歩道があって、ほんの2分も登れば博物館の入り口に着く。車で訪ねるには絶好のポジションだ。写真撮影OKなのも嬉しい。

パーキングエリアにある案内土偶 博物館エントランス


釈迦堂遺跡                   2008.04.06撮影  OLYMPUS E-410
縄文時代の花の都、釈迦堂遺跡がここに眠っていた。満開の桜が歓迎してくれた。


土偶
釈迦堂遺跡から発掘された土偶の数は、1,116個にのぼり、その数は青森県の三内丸山遺跡に次いで2番目。全国の縄文遺跡中最大級の規模を誇る。

不思議なことに、すべての土偶がばらばらに壊されていた。ひとつとして完全なものは出土しなかった。これは何を意味するのだろう。おそらくこの地で何らかの祭があったのだろうと、学者は推定している。祭の日に、各地の集落から思い思いの土偶を持ち寄り、それをバラバラにして埋める祭があったのではないかというのだ。ちょうど、我々が去年の破魔矢や護符などを、正月に神社に持ち寄って、神火で焼く「お焚き上げ」の儀式のようなものであろうか。

いずれにしてもおびただしい数の土偶は、この地が縄文人にとって非常に重要な祭の場であったことを物語っている。縄文の「花の都」というわけだ。

土偶
顔の表情が生き生きとしていて、縄文人の表現力の豊かさに驚く。


土偶 吊手土器


土偶                              (東京国立博物館蔵)
釈迦堂遺跡の近くの御坂町上黒駒から出土した。


水煙土器
曽利式土器と分類される縄文中期の過剰装飾土器。
新潟県出土の土器が火炎土器と呼ばれるのに対して、こちらは水煙土器と呼ばれる。


釈迦堂遺跡周辺の縄文遺跡群
甲府盆地の東側、御坂山系を流れ出た京戸川が作った扇状地に、素晴らしい縄文文化が栄えた。

博物館を出ると、目の前は一面の桃の花。思わずため息が漏れる美しさだ。
2002.04.06撮影 OLYMPUS E-10


釈迦堂博物館を出て、パーキングエリアに戻り、甲府南インターで降りると、甲斐風土記の丘曽根丘陵公園だ。その入り口に山梨県立考古博物館がある。
山梨県立考古博物館
甲府市曽根丘陵に昭和57年(1982)に開館した考古博物館。
縄文時代から中世までの考古資料を展示するが、なんといっても縄文時代の展示が充実していて、数多くの縄文土器の逸品を見ることが出来る。残念ながら撮影は禁止だが、一部のレプリカは東京国立博物館に展示されていて、こちらは撮影が許されている。


深鉢型土器  (殿林遺跡 重要文化財)
曽利式に分類される縄文中期の土器。
左右対称の髏文が洗練された美を
極めている。高さ72cmもある大きな
もので、1962年に、逆さまに埋められた
状態で発掘された。
深鉢型土器   (一の沢遺跡 重要文化財)
人の形を表しているのだろうか。
手を広げて踊っているようにも見える。
抽象化された不思議な文様である。
非常に丁寧な造作である。


深鉢型土器  (安道寺遺跡) 深鉢型土器  (酒呑場遺跡 東京国立博物館)


深鉢型土器  (一の沢遺跡  東京国立博物館)
勝坂式土器に分類される縄文中期の土器。
一名「トロフィー型」とか「屈折底」と呼ばれる独特の形状で、力強い造形美を感じる。

一の沢遺跡は、山梨県笛吹市境川町の丘陵地帯に広がる遺跡で、縄文時代中期の
大規模集落の跡地と考えられる。


縄文紀行


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