2008.09.11
千葉市若葉区にある加曽利貝塚は、日本最大の貝塚である。日本の貝塚は2,500カ所ほど見つかっているが、不思議なことに太平洋側に多く、日本海側には非常に少ない。また、関東地方に1,000カ所が集中しており、そのうち600カ所は東京湾沿岸である。5,000年前から東京圏は人口密集地域であったのだ。

貝塚は縄文早期・前期(BC7,000〜BC3,000)頃から小型のものが現れるが、中期(BC3,000〜BC2,000)になると、次第に大型化して数も多くなる。後期(BC2,000〜BC1,000)には数、規模ともに最大となり最盛期を迎える。しかし縄文晩期(BC1,000〜BC500)に入ると急速に減少し、東京湾から姿を消していく。


加曽利貝塚の位置
JR千葉駅からモノレールで370円。桜木駅から徒歩15分。

国指定遺跡加曽利貝塚公園
134,500uという広大な貝塚で、明治20年(1887)人類学会誌に発表された上田英吉「下総国千葉郡介墟記」により、初めて世の中に紹介された。日本最大のみならず世界でも最大級の貝塚で、昭和46年(1971)北貝塚が、昭和52年(1977)南貝塚が国の史跡に指定された。


加曽利貝塚の碑
貝塚は8の字型で北と南に分かれている。
北貝塚は主として中期、南は後期の遺跡。
加曽利貝塚博物館
昭和41年(1966)に開館。
撮影は窓口に断ればOKだ。


貝層断面
約5,000年前からの地層をそのまま見ることが出来る。貝殻の他に動物や魚の骨、それに人骨が埋まっていた。貝殻のカルシューム分によって土壌が中和され、そうした遺物がよく保存されたと考えられている。縄文中期、後期の重要な標識遺跡であり、発掘された土器群は加曽利式土器として、土器編年の指標となっている。


縄文中期の土器(加曽利E式土器)

加曽利貝塚の北E地点から縄文中期(BC3,000〜BC2,000)の土器が多数出土した。
加曽利E式と呼ばれ、火炎土器など中期独特の過剰装飾土器が突然終焉を迎えたあと、より実用的な土器として登場する。関東を中心に新潟や東北北部、甲信地方から岐阜の山地まで幅広く出土する。縄文中期後半を代表する標準土器である。

口縁部を膨らませたキャリパー(計測器)型が特徴。口縁部には紐状の髑ムを平行線状、または渦巻き状に巻き付け、胴部に縄文を施す。やや粗めの粘土で厚めに作られ、焼成は比較的もろい。

深鉢


深鉢


深鉢
上の2点などは、まだ過剰装飾の名残を残しているのかもしれない。


深鉢
この二つの深鉢土器は、炉の縁に転用したらしく、外側の一部が焼け焦げている。


顔面把手
土器の口縁部に内側に向いて取り付けてあった。なんとも不思議な形状だ。


犬の埋葬
シカやイノシシなど食用にした動物の骨は、バラバラの状態で出土するが、この犬は丁寧に埋葬されたものらしい。狩猟の助手として大切に飼われていたと思われる。

世界の先史で旧石器時代から新石器時代への移行の重要なエポックは、農耕の開始と、動物の家畜化だとされている。この犬の埋葬は、日本の縄文時代が、世界の新石器時代に相当するという証拠でもある。


縄文後期の土器(加曽利B式土器)

南貝塚B地点から出土した土器を、加曽利B式土器と呼ぶ。
縄文後期(BC2,000〜BC1,000)の編年標識土器である。この時期になると用途によって様々な器形が作られる。特に小型のものは丁寧な造りで、きめの細かい粘土で薄手に作られ、焼成は硬い。細かい縄文をつけるが、沈線で区画したところは丁寧にすり消し、器面全体に丹念な磨きをかけている。

深鉢 浅鉢


アワビ型土器 双口異形土器


舟形土器


浅鉢土器


土偶
土偶はほとんどがバラバラに壊された
状態で出土する。種々の説があるが、
この博物館の説は、女性が妊娠すると
土偶を作り、安産を神に祈る。そして、
無事に出産すると、バラバラに壊して
埋めたというのだ。
土偶
これはほぼ完全な形で出土した。
女性は流産か死産であったのだろう。
失敗すると人形をそのまま土に埋めて
再び子宝が授かるように祈ったというのだが。


ミミズク型土偶
これは何を祈ったのだろうか。なんともユーモラスな造形だ。


巨大な集会場跡
長径19M、短径16Mの巨大な竪穴。
2本の石棒と3個の異形台付土器
出土した。
日常品は発見されていないので、
村の集会場か祭の場であると思われる。
異形台付土器
左の竪穴から出土した。
用途は不明だが、特別な儀式に
使われただろうと推測されている。

縄文の男
身長160cmの男性。30才ぐらいで
死んだものと思われる。
骨の表面がゴツゴツしており
筋肉質で強靱な身体だった。
縄文の女
身長150cmの女性。40才ぐらいと推定。
左手に貝製の腕輪をはめ、頭には
加曽利E式の土器がかぶせてあった。
貝殻のカルシュームのおかげで残された。

加曽利貝塚案内図


縄文紀行


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